「自分のポリシーをどこまでも貫く」
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【梅田智也の編集後記】
「チョコレートの輸入をやめる時は、自分が会社を辞める時だ」
「ミッシェル・ブランは日本初であり、名古屋発。自分がやらないと誰がやるんだ」
という表現から、ご自身に相当プレッシャーをかけながらも動かれてきたことがわかる。
その一方で
「成るようにしかならない」
という表現もあり、うまくいかなかったら、また次を考えようという
「心のフットワークの軽さ」
も感じた。
その両面を持たれているからこそ、
ご自身のポリシーを貫き通しながら「こうしたい、こうしよう」を実現され、大手百貨店がことごとく断られたミッシェル・ブランから唯一認められ、今、熱狂的なファンを持つミッシェル・ブランブランドを日本で広めることができているのであろう。
フルバージョン
インタビュー概要
※動画に含まれていない内容も掲載しています。素敵な経験と想いをご覧ください!
本当に美味しいお菓子を広めたい一心だった。
3年間百貨店で修行した後、父親の会社に入った時、
お菓子問屋としてうまくいっていたが、「このままでいいのか」という不安や疑問があり、チョコレートの輸入を始めた。
始めはなかなかうまくいかず、儲からなかったので、会社内外より非難がすごかったし、ボロボロに言われた時もあった。
でも輸入していたスイスのチョコレートも、ミッシェル・ブランも本当に美味しかった。
「スイスのチョコもミッシェル・ブランも日本初であり、名古屋発だった。」
「自分がやらないと誰がやるんだ。自分が諦めたらもう日本人の口に入ることはなくなってしまう。」
「絶対に美味しいものだから、広めるんだ」という一心で取り組んできた。
ミッシェル・ブランから学んだ事「自分のポリシーをどこまで貫くことができるか?」
ミッシェル・ブランは当初、
大手の百貨店がどれだけ口説きにいっても、日本でチョコレートを販売することを断り続けた。
ブランは、ショコラのアルチザン(職人・芸術家)として、手作りを守り続けた。
「自分の目の届かないところで、自分のブランドで、誰かわからない人が作り、売られていくことが理解できなかったから」だそうだ。
フランスの有名なショコラティエの中には、
機械を使い、拡張し、世界中で販売しているビジネスマンもいたが、
ブランは、アルチザン(職人・芸術家)として、手作りを守り続けた。
その姿勢が信頼となり、名実共にフランスの至宝と賞されるショコラティエとなっていった。
「自分のポリシーを持ち、それを貫いて、その世界(土俵)の中でどの立ち位置にいるか」が大切であることをブランから教えてもらった。
「やらんならん」
小さい頃からお袋によく言われた言葉が、
「やらんならん」という名古屋弁の言葉だった。
「やらなきゃしょうがないんでしょ?だったらやってみなさいよ」という意味の言葉だった。
その言葉を大切にしてきたし、
やってみなければ何もわからないし、成るようにしかならない。
だからこそ自分のポリシーを貫き、「自分はこうだ」と思ったことをやってみることが良いのではないかと思う。
命までは無くならないのだから。
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