元F1ドライバー 山本左近 さわらび会 副理事長・統括本部長

「人間は自己実現不可能な夢は思い描かない」

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情報

所属:医療法人 / 社会福祉法人 さわらび会副理事長・統括本部長
氏名:山本 左近

URL:http://www.sawarabi.or.jp/
URL:http://sakonyamamoto.com/

トピックス

インタビュー全編


【梅田智也の編集後記】

 

『諦めるな。左近だったらできる!』

 

本当に辛く苦しく、諦めかけている時に、そんな言葉を両親からもらえたら、どれほど嬉しいことだろうか?

 

その一言がなければ、山本さんはどうなっていたのだろう・・・?

 

両親や家族といった身近な方のサポートがどれほど重要なものか改めて感じたインタビューであり、その一言がすごく印象に残った。

 

夢に向かって頑張る若者やその両親に、是非聞いて頂きたいインタビューである。 

 

フルバージョン


インタビュー概要

※動画に含まれていない内容も掲載しています。素敵な経験と想いをご覧ください!

6歳の時、初めて見たレースに衝撃を受けて、F1ドライバーになりたいと思った。

6歳の時、初めて見た鈴鹿サーキットでのF1で、

そのスピード感、エンジン音、会場の雰囲気やサーキットの匂いなど、すべて五感が痺れ、F1ドライバーになりたいと思った。

 

あるモータースポーツ雑誌で、

「F1ドライバーになるほぼ全ての方が、12歳までにレーシングカートを始めている」という事実を知り、カートを始めることに反対し続ける両親に対して、土下座をし「一生のお願い」と説得し、11歳でレーシングカートを始めることになる。

「毎年の親との契約」が、自分の成長に繋がった。

レーシングカートを始めてからは、

毎年毎年、「レースの結果」と「学校の成績」で目標を決め、それが達成できない場合、カートは辞めるというルールがあった。

 

まさに「毎年の親との契約」だった。

 

この親との契約があったので、

限られた時間と限られた条件の中で、できることを全部やらなければならなかったが、F1ドライバーとして、世界を舞台に戦っていく事はもっと厳しい世界だったので、両親が与えてくれた課題が自分の成長に繋がった。

 

また、毎年の目標がはっきりしていたので、

 

「中学生ではこれをする」「高校生ではあれする」と自分のステップを思い描きながら、階段を登っていくことができ、24歳で当時日本人最年少F1ドライバーになることができた。

「諦めるな、左近だったらできるから」

とはいえ、F1ドライバーになるまでの道は、決して順風満帆ではなかった。

 

19歳から21歳まで、ヨーロッパでレースをしていたが、レースも私生活も全然うまくいかず、ボロボロになり精神的にも折れてしまい、初めてレースを辞めようと思った。

 

日本に帰り、両親に話した時、あれほどレースに反対していた親が

「諦めるな!左近だったらできるから」

「次の挑戦でダメだったら辞めればいいから、最後まで諦めるな」と言ってくれた。

本当に苦しい中だったので、すごく嬉しかった。

 

その言葉や両親のサポートのお陰で、その後這い上がることができた。

 

人生の中でも非常につらい経験であったが、どん底から這い上がってこれた自信や強さは、レーシングドライバーのみならず、今の医療や福祉の仕事をしている中でもすごく効いているので、挫折を経験して本当によかった。 

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